4つの行為で視覚の役割を見てきましたが、全ての行為で共通しているのが<予測>です。この予測は、今までの経験や記憶をもとにされるのが前提で、雪の上を歩いたことがない人と毎年歩いている人では、今から雪の上を歩くときにされる予測は全く異なるのは想像に難しくないと思います。
歩いたことがある人は、ほとんど普通の道を歩くように歩けますし、歩いたことがない人はひっぺり越しで全身に力を入れてへんてこりんな歩き方になります。
これは、雪を歩いた経験から、これから雪の上を歩く!という状況ですでに、踏みしめた感覚などを予測することが出来るからなのです。
この予測は、初めて行った動作の時は働きにくく、動作が習熟すればするほど出来るようになってきます。つまり、習熟した動作であればあるほど、予測のみで動けるくらい脳の負担は減っていきます。学習とのつながりが強いんです。いわゆるルーティーンに似たような感じかなと考えています。
人がいかに予測で生きているのか、反対に言えば予測が出来なければ人はスムーズに動く事すら出来ないのかがお分かりいただけたと思います。この予測がもし違うことに使われていたら…痛みがある人が動く前から痛みを予測したり…脳血管疾患の人が代償運動を予測していたら…。
介入に新しい視点を得られるきっかけになれば幸いです。