お読みいただいている皆さんありがとうございます。本サロンを運営しています、理学療法士の唐沢彰太です。(自己紹介はこちらから→唐沢彰太って誰?
人とサルの大きな違いの1つ【2足歩行】は、進化の過程で獲得した非常に高度な行為です。リハビリテーション(リハビリ)においてこの歩行の獲得は非常に重要な要素で、歩行のことを詳しく知っているかどうかはリハビリの内容に大きな影響を及ぼします。そこで今回は、この歩行を運動学的な視点ではなく、少し違う視点から考えてリハビリにいかせないかどうかを考えていきたいと思います。

歩くとはどういうことか

人はなぜ歩くのか?

多くの人は【移動するため】と答えるのではないでしょうか? 歩行は移動手段の1つとして捉えられ、車や電車などの移動手段と並列であると考えられます。リハビリにおいても、移動手段の獲得として歩行を獲得することを目的に介入され、屋内なら可能、屋外では介助者が必要など評価していきます。
ですが、人は移動の目的以外でも歩きます。例えば散歩です。散歩はここからどこかへ移動するために行うわけではなく、【歩くことを目的】に河原を歩いたり、公園を歩いたりします。この散歩の目的は移動でないとしたら一体何なのでしょうか?

  • 4月頃のぽかぽかした陽気の中散歩する…
  • 頭の中を整理するためにぼーっと歩く…
  • 恋人と目的もなくただ歩く…

いろいろな場面が想像されますが、目的があったりなかったりしますね。
歩くことは自由であると言い換えることが出来ます。歩く速度も歩幅も自由ですし、歩き始めもいつ止まるかも自分で決めることが出来ます。どこへ向かうかも自分で決めれますし、遠回りすることも出来ます。この自由度は歩行にしかないのではないでしょうか?
つまり、その時の感情や意図などを全て表現できる行為、それが歩行なのではないでしょうか?歩行には移動という側面と、自分の自由を表現できる行為としての側面両方を持っていると私は考えています。

歩けなくなることの本当のところ

この様な多面性を持つ歩行ですが、脳卒中や下肢の骨折など様々な理由で行えなくなることがあります。もし歩けたとしても、長い距離が歩けない、疲れやすい、痛みが出る、思うように歩けないなどいろいろな原因から自由度が減ることが多々ありますね。歩けなくなるということは、移動が出来なくなると考えがちですが、車椅子などを使用すれば実は解決できることが多くあります。実際、電動車いすで新幹線に乗っている方もいらっしゃいます。
では、自分の足で歩くことの意味はどうでしょうか?自由度が狭小化し、歩くことへの制限はその人にとって実は大きな意味を持っていると思います。私も学生の頃、バスケットボールをやっていてたくさんの怪我をしました。足首の捻挫は歩行を大きく阻害し、松葉杖を使って歩けたので移動は出来たものの、移動範囲は狭まり、どこかへ行こうという気持ちすら起きてきませんでした。
当然かと思われるかもしれませんが、リハビリではこの歩行の持つ自由についての考察が大きく欠落しているように思います。
【歩けないとつまらない】
患者さんに言われたこの言葉は、私の中で今でも強く残っています。歩くことが楽しいなんて考えたこともありませんでした。
ですが、自分の経験を振り返ると、自由に歩けることがどんなに素晴らしいことなのか、歩けないとどんなにつまらないのかを感じていました。 歩行を再獲得することはただ移動できるようになるわけではなく、自分の足で自由に生きていける喜びをまた感じることが出来るようになるのかもしれません。
リハビリの持つ本当の素晴らしさは、もっともっとあるのかもしれません。

プロリハ研究サロンでは、
・実際にどうやって評価していくのか?
・その評価結果をどうやって介入にいかしていくのか?
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