つま先が痛い、膝が痛い、頭が痛いなど痛みには身体部位を特定できる特徴があります。これは通常の体性感覚と同様で、手に何か触れている、肘が動いているなどがこれにあたります。このような痛みの身体部位を特定できる特徴は、痛みの<感覚的側面>と言われており、脳にある身体再現と比較されていることが分かります。
一方で、痛みには「この辺が痛い」といったような痛みの部位を点で特定できないものも存在します。その多くは慢性痛で、例えば腰痛であれば痛いのが左右どちらかわからなかったり、日によって痛いところが違ったりと感覚では説明できない側面があります。
これらのことを踏まえると、痛みには感覚的な側面を多く含むものとそうではないものがあることがわかります。では感覚的な側面を多く含むいわゆる急性痛に関しては、体性感覚などの感覚と同じと考えて良いのでしょうか?答えは半分YESで半分NOです。つまり、痛みには体性感覚にはない特別性が存在していて、それが痛みが単なる感覚ではないと言わしめている原因なのです。
それはなんなのか?答えは、【心理面】です。心理面をもう少し細かく言うと【情動】となります。痛みはもともと危険信号で、身体に危険が生じていることを脳に知らせて、それを回避・逃避するためのものです。よって、痛みには負の情動(嫌だ)が働くことがもともと動物的に備わっています。これは、脳で処理される過程でもわかり、痛み刺激は感覚を処理している頭頂葉だけではなく、情動に深く関与する島皮質へも伝達されています。もちろん体性感覚でも情動は働きますが、直接的・同時的ではなくその役割も異なっています。
最近ではよく聞くようになりましたが、痛みとは情動体験だということが、通常の感覚とは異なる点なのかもしれません。